月別アーカイブ: 7月 2012

青き重き一票

2009年の人口比率は、20代は14、30代は18、40代は16、50代は17、60代は18、70代(以上)は21だ。
20~30代:40~50代:60~70代(以上)は33:33:38でなかなか拮抗。
と、思いきや。
各年代の総選挙の年代別投票率は46.2%、59.8%、71.9%、77.9%、83.1%、69.5%で、これを掛けると、
20~30代:40~50代:60~70代(以上)は18:25:29で、年寄り圧勝、てか、若人惨敗。
この状況を知ってて若者優遇を目指す政治家はドン・キホーテで、眠眠打破でも買わなきゃ。

20代 30代 40代 50代 60代 70代 80代 90代 100以上
+0歳 1,302 1,589 1,835 1,564 2,266 1,320 978 256
+1歳 1,347 1,653 1,800 1,521 2,247 1,402 914 228
+2歳 1,388 1,698 1,793 1,481 2,131 1,429 847 193
+3歳 1,414 1,783 1,407 1,560 1,335 1,417 794 163
+4歳 1,463 1,869 1,746 1,613 1,434 1,342 703 129
+5歳 1,490 1,966 1,636 1,614 1,747 1,251 598 106
+6歳 1,494 2,002 1,593 1,717 1,695 1,233 522 80
+7歳 1,478 1,964 1,541 1,812 1,735 1,181 457 59
+8歳 1,490 1,918 1,522 1,922 1,682 1,115 393 40
+9歳 1,551 1,864 1,534 2,068 1,526 1,032 362 29
合計 14,417 18,306 16,407 16,872 17,798 12,722 6,568 1,283 48
投票率 46.2 59.8 71.9 77.9 83.1 69.5 70代に結合
投票数 6,661 10,947 11,797 13,143 14,790 14,332 70代に結合

2009年 単位:千人

これは、世代間格差の負のスパイラル的問題。
意見が通らなきゃ、投票のモチベーションも下がる。で、行かなきゃますます意見が通らん。
踏みにじられても踏みにじられても投票に行く根性が有りゃいーんだが、温室育ちの若者にそんな期待はできない。一度行ってもヤな事が有るとすぐ萎える。
「若者よ、悔しかったら自力で投票数を増やせ」なんて言ってるうちに、ニッポンは滅ぶ。

ここは一発、思い切って、若者の一票の重みを重くするってのはどでしょ?
20代は12倍、30代は11倍、40代は10倍、50代は9倍、60代は8倍、70代(以上)は7倍とか。
20代は6倍、30代は5倍、40代は4倍、50代は3倍、60代は2倍、70代(以上)は1倍とかネ。
選挙に行かない若者がバカを見るのはトーゼンと言えばトーゼンだが、長きに渡って老人優遇が続いてきたんだから、しばらくは若者の票をガッツリ重くしないと釣り合わない。
意見が通るようになったら、投票率も上がるでしょ。上がるかな?
早くしないと少子化と、癌と共生する老人で、更に若者に厳しい社会になるよ。

一応書いておくと、20~30代の投票率が90%になりゃ、老人を眠らせなくても数で勝てるよ。

2050年の津波回避

三陸海岸って1896年、1933年、1968年と、40年おきに大きな津波に襲われてたのか。
1896年、明治三陸地震の津波で甚大な被害を被ると、多くの人は高台に移転するが、一部の村民は浜辺に残り、そこに新参者が集まりだす。
当然海岸近くに住む方が漁業に有利で、ゼニが儲かる。
日本民俗学の父 柳田國男が「雪國の春」1928年(昭和3年)刊で警鐘を鳴らしている。
にも係わらず1933年、昭和三陸地震で津波に襲われ、一世代の栄華が息子や娘と共に流された。

津波後に浜辺に住んだ村民は、我欲よりも、先祖伝来の土地を守りたいとか、地域漁業の復旧とか、ピュアな心で、それこそ一所懸命に頑張っていたのだろう。
一方、自治体や政府が手をこまねいている間に、漁村は新住民でいっぱいになる。
そして1968年十勝沖地震を経て、2011年、東日本大震災だ。
どんなに著名な作家が啓蒙的な作品を残そうと、ヒトの業は変わらない。

今また、同じ事が繰り返されようとしている。
40年前とは違い、子孫が減る一方の今、地に足を付けた行動をとってほしい。
ヨソ者が言っても聞き入れ難いだろうが、津波で被災した土地は非居住地にし、2010年とは違う形での復興を、住民と行政で協力して作ってほしい。
土地ではなく、次の世代を守る事が、前の世代の願いのはず。
きっと40年後、前の世代と次の世代から感謝される。

~柳田國男「雪國の春」より~
恢(かい)復と名づくべき事業は行われがたかった
智慧(ちえ)のある人は臆病になってしまったという
元の屋敷を見棄てて高みへ上った者は それゆえにもうよほど以前から後悔をしている
これに反して夙(つと)に経験を忘れ またはそれよりも食うが大事だと ずんずん浜辺近く出た者は
漁業にも商売にも 大きな便宜を得ている
あるいはまた他処(よそ)からやって来て 委細構わず 勝手な処に住む者もあって
結局 村落の形は元のごとく 人の数も海嘯(つなみ)の前よりは ずっと多い

考えたくないものは考えない

「失敗学」の畑村洋太郎(東京大学名誉教授であり、政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長)が言う「人間は見たくないものは見えない」は言い得て妙だ。
この傾向は日本人に顕著で、「日本人は考えたくないものは考えない」とも言える。

大王製紙の井川意高(元)会長が100億円を超える金を不正に引き出していた事件において、彼はカジノで開けた穴を取り戻せると思っていたそうだ。
AIJが顧客企業などから預かった年金資産の大半約2000億円を消失させた年金資産消失事件において、浅川和彦社長は開けた穴を取り戻せると思っていたそうだ。

前述の2人なんてまだマシ。開けた穴を取り戻そうと思っていたんだから。
それに引き換え大多数の日本人は900兆円を超える赤字国債を…な~んとも思てへん。
それが証拠に、2012年も44兆円、赤字国債を増やすっさぁ。
前述の100億円や2000億円は大多数の日本人には関係無いが、900兆円の方は子孫に回す借金なんだけどなぁ…。

子孫に比べりゃめっちゃ保障の行き届いた暮らしして、それを維持する為には子孫にドカドカ借金押し付けて、子供からすりゃどーしょーもないダメ親&ダメ爺だわなぁ。
ギャンブルと酒に溺れて子供にまともな食事や教育を与えない親と、五十歩百歩。
と、なんとなく分かってる。なんとなく分かってるから、考えたくない。で、考えない。スゲエッ!

相続税を上げたり、生活保護を現物支給にしたり、日本銀行券を増刷したり、赤字を減らして子孫の保障を厚くする方法は存在するのに、気に掛けなきゃ、そりゃあ行動には繋がらない。
利己的な社会となった現代では「自分よりも子孫の方が大事」なんて思わないだろうから、せめて「自分同様子孫も大事」と思ってほしいな。
その為には、デモで大声上げるのもいいんだけど、なんてったって、選挙における若者の投票数を増やすのが効果てき面。大声は聞き流せるけど、票は物理的に効く。
早くしないと少子化で、若者の投票率が80%になっても年寄りの60%の方が上回っちゃうよ。選挙は数だから、そうなるともう年寄りを優遇するしかない。そういうもんだ、民主主義は。政治家が悪いわけじゃなく、そういうメカニズムなのさ。
二、三十代が大挙して投票すれば、年寄りの政治家だって二、三十代への優遇策を進めるし、逆に後期高齢者の医療負担を上げて若者の負担を減らすよ。

スポーツマンシップ的四球

高校野球では、相手チームの強打者に対して5連続四球を与えて活躍させず勝利する戦術が目立つ。
スポーツマンシップを宣誓したはずの高校生投手がそれでいいのか?と言うと、仕方ないと思う。
敬遠は監督指示なんだから。
でも腑に落ちない。野球の戦術と言うより、優秀ではない監督の生涯所得更新術に見える。
なのでルールを変えてほしい。

1つ目の四死球に対してはこれまで通り打者を一塁に行かせる。
(同じ打者に)2つ目の四死球を与えると、打者を二塁に行かせる。一、二塁に走者が居たら進塁。この場合、打者に打点は付かず、二塁走者は生還して1得点。3つ目なら三塁へ。
4つ目なら本塁へ進んで打者が得点。
5つ目なら本塁へ進んで更に一塁に進む。6つ目なら二塁へ。

このルールが有れば、1992年の松井秀喜5打席連続敬遠は無かった。仮に同じシチュエイションなら5点追加だかんね(^^
それでもするなら、余程の打力と勇気が要るわけで、スポーツマンシップに則った戦術と言える。

高野連の規則や規定はオリジナルなんだから、理想を目指せば?
将来有る若人がプレイするんだから、どよ~んとした気持ち悪さは除く方がいいよ。
MLBは四死球が少ないように聞くが、日本のプロ野球や国際試合でも導入した方がえ~んちゃう?

外国でお辞儀

米国駐在時、俺はよくお辞儀をした。お礼の際ね。
米国に於いて、単なる挨拶で頭を下げるのは奇妙に映るが、相手に感謝する際のお辞儀ならその意味は理解される。
しかし米国人同士では、まずしない。固く握手して振ったりハグするのがほとんど。
お礼の際のお辞儀は、自分が下位である事を認める謙譲行為であり、それは敗者や誤者を連想させるので、プライドが許さない。米国人にとっては勝つ事が正義なので、負けは不正を働くような感覚。
ビジネス上の付き合いは社内であっても、他社が相手であっても、基本的に対等で、命令系統には従順だが、人間としての上下関係は無い。だから感謝はしても頭を下げるのはそぐわない。

お礼でお辞儀する日本人を見て、大袈裟だとか儀礼的などと思う米国人も居るだろうが、「自分が下位である事を認める勇気」を清々しく、そしてその「潔さ」を羨ましく思っている米国人も多いと感じる。
よって、心からお辞儀するのだが、頭の片隅で「とうだ!日本人はカッコイイだろう」と思っていた。

次の光景はイチローがヤンキースに移籍した日にマリナーズファンにしたお辞儀だ。カッコイイね!
観客に一礼するイチロー=大リーグ(時事通信)

セリエAのミラノに行った長友佑都がパフォーマンスっぽくお辞儀してるけど、チームメイトやサポーターまで返礼するようになって、それがまたサマになってきてるのが嬉しいな。

人に対して謙譲の精神を表すお辞儀は、外国人には尊い行為との認識も有るが、その一方、プライドが邪魔してできない行為なのだ。外国に行った日本人は積極的にやってほしいな。
お辞儀した後、誇らしく思っていいよ。あっ、合掌はダメよ(^^;
浸透すれば、きっと日本の好感度は上がる。
米国で、お辞儀をする俺は親近感や信頼度が上がったと思う。その前後の接し方の変化で分かる。

参考:お辞儀の仕方(画像)

男なら乳首を守ろう

男性で長距離を走るなら、乳首を守ろう。
絆創膏が手っ取り早いが、利用頻度が高いなら、コスト削減のため、スポーツテーピングで使う(伸縮性があって汗に強い)テープを数cm切って貼るのも良い。
俺は後者なんだけど、元々スポーツテーピングで使ってたんじゃなく、ゴルフレンジで100球打つと指にマメが出来るので、マメ予防のために巻いていた幅の狭いものだが、これで十分。

16km走ると乳首がウェアで擦れて痛い。ある日見てみると、黄色いウェアの左右の乳首部分が血で赤く染まっている!トイレの洗面所で血を洗い落として帰宅した。

気候、体調、体質、ウェアの材質、姿勢、時間、距離などにより、どの時点で血が出だすのか分からないが、俺の場合、16km以上走るならテープを貼ることにしている。
出血の前に、先ず痛みが始まるので、それを貼るべき距離の目安にすれば良い。

たぶん、ブラジャーをしている男子には無用な情報だ。
しかし、ブラジャーをしていない女子には有用な情報だろう。

コンプレッションウェアを着ていると、擦れないので、テープ不要だ。

サムライ制度

日本にはゲイシャ同様、ニンジャやサムライが居ると思ってる外国人は多い。
ご期待に沿うべくサムライを復活させよう。ニンジャはともかく。

武家社会における侍とは、簡単に言えば上級武士で、士道を重んずる(べき)人。
さすがに21世紀では家族を巻き込む事はできないと思うので、個人単位。
「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」を問う武士道検定で合格する事により入会可。いつでも退会可。
「成人で一度」が条件。配偶者が居る場合は配偶者の許可も要す。
有機ELなどで光る素子を額や耳たぶや手の甲に埋め込み、可視化する。
サムライ審議委員会で士道不覚悟と裁断されると強制退会。

入会時、個人資産は没収される。
ベーシックインカム制で、給与は現物支給。住居や高級車が貸し与えられる場合も有る。

金の使い道はインターネット上で公開する。
外出時には前方と後方を撮像するカメラを携え、インターネット上で公開する。
街中や電車内での不道徳な行為をたしなめて改めさせる。
赤信号や一時停止を馬鹿正直に守る。
違法なサービスを提供する風俗店への入店は断られるに違いない。

法を犯した場合、執行猶予は付かず、刑期は判決の2倍。

一般市民はサムライに敬意を表する。
サムライから注意を受けたら速やかに聞き容れる。

攻撃を受けた場合、集団的過剰防衛が認められる。
サムライのみが公務員と成り得る。

こんな人達が自衛官や国会議員なんて、いんじゃない?
めちゃくちゃ変わった国ですわなぁ。こりゃオモロイ。
外交官や政治家も、海外の同業者から一目置かれるゾ。
民間企業の社長がサムライと分かると、「あなたはショーグンですか?」と尋ねられるね(^^

キラーメーカー

いじめが原因で死んだ子の親は、加害者に死を以て償わせたいに違いない。俺ならそう思う。
しかし加害者が中学生の場合、刑は極刑に比べると随分軽いものとなるだろう。
少年の将来を鑑みるという事だそうだが、間違えていると思う。

一体誰の将来を鑑みるべきなのか。
前述の加害者を少年Zと呼ぶが、刑の軽減は少年Zの将来を鑑みるという事だろう。
しかし少年Zにしてあげるべきは、時間を戻して、「加害者にしない」事であろう。
もし、その前に起きたいじめ殺人の加害者、少年Yに重い刑罰が与えられていたなら、少年Zは殺人者にならなかったかも知れない。
少年A~Yに重い刑罰が与えられていたなら、少年Zは殺人者にならなかったに違いない。
少年の将来を鑑みるなら、加害者の将来を守るのではなく、将来の加害者を守るべきではないか。

少年Yの刑を軽減した者は、少年Zを加害者に仕立てた罪を償うべき。
実際、彼等は「諸外国や前例に従ったまで」とケロリとしているのだろう。

死刑囚の有効利用

福島原発の処理で、どうしても人手による作業が必要だけど、放射線が強くて行けない場所には、死刑囚に行ってもらって作業させれば良い。
癌になる危険性はあるが、発病したら死刑執行してあげると諭せば行く囚人も居るだろう。
それでもイヤと言うなら即処刑して次の囚人に尋ねれば、3人目は行くだろう。
囚人が一巡したら、(発病即処刑なので)発病せずに生きている囚人に、次の作業に行くか尋ねてみよう。一度行った者は次もきっと行く。
死刑囚は2012/7/12時点で133人居るそうなので、延べ50回ほどの作業が行えるだろう。

「死刑囚」って名ばかりで、「現役の税金泥棒」だわな。
しかしこれで一定の成果を挙げれば、感謝する国民や激励の手紙を書く国民も現れる。
すると死刑囚も救われた気分に浸れるし、作業を拒否して受刑しようと思っていた死刑囚も最期のご奉公に目覚める場合も有ろう。
ヒーローとは言えないが、国民的な話題に上って最期を迎える良い機会となる。

死刑囚に愛を

たとえ終身刑であっても、受刑者が飯を食って生き長らえるのは当然。そういう刑だから。
しかし、なんで死刑囚が税金で生き延びてるのか分からん。いやいや分からんのじゃなく、理不尽。
赤字国債乱発で無罪の子孫に毎年借金を上積みしてるのに、死刑囚に税金費やしてる場合じゃない。

死刑囚を生かしておく訳は2つ思い当たる。
1つは人が人を殺していいのか?という倫理的問題。しかしこれは死刑囚を生かす理由には当たらない。この問題は死刑制度の廃止が正しい対処法。
もう1つは冤罪疑惑の問題。これも死刑囚を生かす理由には当たらない。三審制の中で無罪や減刑を捻出するのが正しい対処法。死刑の場合は四審目を設けるなど、新制度構築も一考の価値有り。

俺は死刑囚に税金をつぎ込む事に反対なのであって、彼等が生き長らえる事に異論は無い。
死刑囚を生き長らえさせたい人はNPOを立ち上げ、牢獄を経営すると良い。
同士は沢山居るだろうから、牢獄の保守費や看守の給料や死刑囚の生活費を寄付で賄えば良い。

死刑執行反対は口だけでゼニを出すのはイヤって人が多くて寄付が集まらず最低限の生活が維持できない場合や、とにかく早く死にたい場合に備え、死刑囚が協力して執行できるようにしておくとなお良い。
絞首台の死刑囚 「お先に失礼しまーす」
押下係の死刑囚 「お疲れさまでしたー」ぽちっ
とか。

欧州は死刑廃止の国が多いから、そっち系の教会がバンバン金出してくれる気がしないでもない。
他国の金で日本の消費が生まれるなら、棚から牡丹餅。