カテゴリー別アーカイブ: 07.驚きの外国

外国で驚いた

海賊版マーケティング

コナミで同僚だったTK氏(中国でSE勤め)が一時帰国したのでサシ呑み。
俺は90年代の中国ではフォトショップの海賊版が300円と知っていた。
2018年、著作権の認識は高まったが、今でもアプリケーションソフトの海賊版が横行しているそうだ。
社長が意識高い系でも社員が無意識に海賊版をインストールとか(^^;

CADなどの高価なアプリも海賊版が蔓延。
しかし今ではどこで使われているかが分かるそうだ。
で。
でだ。
アプリメーカーは無断使用者/社を即時訴え(賠償金訴訟)はしない。
そこに電話を掛け、「正規版XX本ならYY元でお売りします」
と、営業しちゃうのだ!

郷に入れば郷に従え商法やのう!

新旧貧富の混じるブラジル

1997年、ブラジルでゲームショーが有り、当時コナミオブアメリカに出向していた俺は単独で出張。
当時のブラジルは通貨危機の狭間で、恐ろしく貧富の差が酷かった。
空港を出るとすぐ、幼い子供が物乞いをしている。胸が詰まる。
ゲーム機を買える余裕が有るのか不思議に思ったが、一握りの富裕層が超リッチで、一家に何台もゲーム機を買う層が有るそうだ。
米国に帰国する日、空港まで(ブラジル以外の)外国人が乗る美麗なバスを使わず、現地人が乗るボロバスを使ったら、運賃は10分の1だった。
バラックのような掘っ立て小屋に住む人も多いのだが、彼らはいくら生活に困窮しても、カーニバルで身に付けるド派手な衣装に貯めたカネをつぎ込むのだそうだ。江戸っ子だねぇ。

噂には聞いていたが、日系人の多さに驚いた。サンパウロを歩くと、あちらこちらに日本人顔を目にする。看板には現地人が読めないであろう日本文字も多い。農業に始まる貢献で、日系人は尊敬されていて、自分が日本人顔であるだけで、親切を受けそうな錯覚がある。

当時、カプコンの開発本部長だった岡本氏の案内で、カプコンが経営するゲーセン巡りをさせてもらった。
プリペイドカードで遊ぶ方式は21世紀の日本でも行われているが、当時ブラジルのカプコン系ゲーセンでは、どのゲームにも同じプリペイドカードを使う事ができ、しかも使われるポイントが機種はもちろん、時刻や曜日によって変わるという斬新なシステムだった。
日本円に例えて言うなら、土曜の18時なら200円だが、水曜の13時なら150円で遊べるわけだ。
しかも物価や消費税に応じて105円のプレイ代を翌日から108円にする事も可。素晴らしい!

インターネットには困った。電話回線で繋ぐんだけど、めぇちゃぁくぅちゃぁ遅く、米国なら1分で済む転送に30分以上掛かる。時々止まり、30分以上読み込んで、パァなんて事もしょっちゅう。
当然もうLANが整備されているだろうけど、当時はビジネスチャンスを逃す人が多かったろう。

トリノとミラノの戦争

まだJリーグが無かった頃かな、イタリア出張中、ミラノの取引業者の若造2人に誘われて「ユヴェントス vs ACミラン」を観に行った。もちろん俺も若造だった。2人ともほとんど英語を話せないので、4,5時間ほんっとーに単語だけで会話した。
8万人ほど入る巨大なスタジアムのセンターライン近くのいい位置に座った。やっぱ社長のD氏のコネやろなぁ。
ユヴェントスファン用の客席は、60分の時計盤で言うと3分ほどしかない!もちろんその左右は大きく空席でガードされている。
1対0でACミランが負けてて、前半終了。あんなに少ないユヴェントスファンの「ユーヴェ!ユーヴェ!」の声援で巨大スタジアムが占領され、さすがにミラニスタも元気が無かった。はっきり言って負けると思っていたが、後半40分同点ゴール!ロスタイムが始まって間もなく逆転ゴーーール!じ、地鳴りですか?ミラノ中が騒いでいるのかと思うほどの大歓声だった。取引業者の若造2人も気が狂ったように騒いでいた。
駐車場に戻って気付いたが、ユヴェントスファンが歩く出口からバス(自家用車じゃムリか)までは仮設フェンスで隔離されてて、何十人もの兵隊の格好をした人達(多分兵隊)が連射可能なライフル銃を持って警護にあたっている。そこまでする!?

親切な2人のカナダ人

米国駐在中、夏だからといって帰国できない日本人スタッフ5人ほどでシカゴ~ナイアガラをドライブした。

夜中の0時過ぎ、カナダのレストランで夜食を摂り、更に数時間走ってミシガン州でホテルに着くと、財布が無い事に気付いた。
レストラン内の公衆電話に置いたままだった(><)
ホテルからレストランに電話したら、財布が有る!と、まず驚いたが、取りに行くと、100ドル以上入っていた現金が、そのまま残っている事に仰天した。
米国じゃ、財布が有る事自体、有り得ないのに。

お礼を言って20ドル渡そうとしたが、夜中の3時、おばさんが飛びっきりの笑顔で首を横に振り、
「拾い届けてくれた人にも、取りに来てくれたあなたにも感謝してます」と。
俺も拾い届けてくれた人と、笑顔をくれたおばさんに感謝してます。

英国の真相

米国と違い、英国では白人と黒人が対等と言うか、肌の色なんて意識していない。いろいろ驚いたが、これには感服した。先進的な国ですねぇ。

日本語の発音も英米では違う。
SAKEは、英ではサケだが、米ではサキ。
KARATEは、英ではカゥラテだが、米ではクルァデ。
KAMIKAZEは、英ではカミカゼだが、米ではカマカズィ。
米国では自分たちが読みやすいように読むのに対し、英国では外来語の発音を尊重しているのだろう。
どうやら文化や歴史も尊重してくれているように思う。

英国と言えば紳士の国かと思っていたが、紳士は年寄りだけで、若者は弾けてる。抑圧と反発っていう構造なのだろう、俺は良い形だと思う。
街の大交差点に公衆トイレ(円柱形)が立っていて、20だか50ペニー入れるとドアが開く。
金も入れてないのにドアが開き、中からおじさんが出てきて俺を見ると、ドアを開けたままにして、「入っていいよ」
「いやいや、金は持ってる」と言うと、「いいんだ俺もそうした」だって。
ウソみたい。ま、でも、郷に入ればってことで、失礼。

う~ん、これは特殊な例かも知れないけど(と思いたい)、他日、同じトイレで、なかなか出てこないヤツが居たのだろう。
2人が笑いながらドンドンと壁を叩きまくり、そのうち、外壁に向かって立ちションしだした!大通りの交差点なんですけど…(^^;

米国駐在で英語に慣れたと思ったが、英国出張でガクゼンとした。全く分からん。
米国と違って難しい単語が多いのも一因だが、大問題なのはCockney。ロンドン訛り。
東京中が江戸っ子弁を喋ってるようなもの。
GAMEがガイム、halfがアーフ、こりゃ分からん。
日本人のY氏が英国に駐在員として赴任早々、新聞(paper)が分からなかった。
英「パイパーを取ってくれ」
Y「パイパーって何?」
英「パイパーも知らないのか!」
Y「綴りを言ってくれ」
英「ピー・アイ・ピー・イー・アー」
Y「piper?分からん」
英国人はあきれて自分でpaperを取った。

もしかすると笑いのセンスが似てるかも。
英国から出張で来たB氏が首に下げているネームプレートを「見せて」と言って取り上げ、机に伏せて名前を尋ねると、アワアワアワと分からない振りをしてから、笑顔で返却を求めた。
米国人にノリボケはできないと思う。

それから、ソーホーに中華料理店が並んでるけど、日本の中華料理店の味と似てる。三日三晩飽きずに食った。
ソーホーと言えばFUTON店も有ったなぁ。

人のいいアイルランド人

1987年、アイルランドの国策で、優秀な大学生を外国の新進企業に働かせるプロジェクトがあった。
経済力が弱く、バスもロンドンバスのお下がりという始末で、将来的に彼らが帰巣して国が栄える事を期待したようだ。
ゲーム会社のコナミにも声が掛かり、勤め先となる日本の社長と海外事業部長、そして米国開発室長の俺も面接に行く事になった。

現地で時間に余裕が有ったので昼時にバーに行き、何はともあれ本場のギネス。もちろん生。
くーーッ!コクがある。
昼間っから黒ビールを楽しんでいると、店主が
「日本から来たのか。日本人を見るのは初めてだ。これを飲んでくれ」
と言って輸出用のビンビールをくれた。
それを飲んでると、またカウンターに生が置かれ、「も一度飲み比べてくれ」
で飲み比べてると、サーモンのカルパッチョやパンが出てきた。
生を一杯頼んだだけなのに、もう立派に昼飯です。
俺らも喜んだが、店主も嬉しそうだった。

腹ごなしに大学のキャンパスに行くとクリケットの試合をしてて、観客もパラパラ。
ルールは知らないがバッターが打つと、数秒後に観客がパラパラと拍手する。
もんのごっつい悠長。

面接に携わった公務員その他と会って思うに、男性はめっちゃええ人ばっかりやった。
女性はなぜか男勝りでキツい感じを受けた。

英国に比べて殺人などの事件が少ないのは自慢のようだった。
ケンカが新聞に載るらしい。ほんま!?

街並みを一歩外れると、非常に牧歌的で、2つの事を思った。
1つは、年寄りになったら、日本より住みたいかも。
1つは、大阪人が20代で住めば、気が狂うかも。

人のいいドイツ人

フランクフルト支店の営業マンS氏の運転で町中を走っていると、道路工事で渋滞していた。
なかなか進まんなぁと、大阪人の俺は少しイラついていたが、S氏が作業員を指して、
「この辺りは彼らのお陰で急速に発展してる」と。
心の豊かさで目に映る光景は変わるのですね。

少し英語が話せるようになっていたので、ドイツ出張で単独行動をとる事にした。
すると驚いたことに、ドイツ人って思ったほど英語を話せない!焦ったー。
なかでも一番焦ったのはゼニ。
もうマルク(1980年代のドイツ通貨)が無くなりかけたので、銀行でクレジットカードを元にマルクを仕入れようと思ったが、受付の人が英語は分からないと言う。
それでも食い下がると、奥から事務員のような兄ちゃんが出てきてナニか喋り始めた。
よ~く聴くと、どうやら英語を喋っているようだ。でもドイツ語としか思えん(^^;
そんな彼には、俺の英語も日本語に聞こえたろう(^^;
お互いドイツ語と日本語のような英語で、なんとかマルクを入手できた。感謝してます。

単独行動でもう一つ焦ったのはホテル。
心行くまでゲーセンのハシゴをし、どこに行くか決めてなかったので、ホテルも飛び込みで泊まるつもりだった。
しかし随分地方に行ったようで、ホテルが無い。
ポツンと有ったマクドで夜食を摂りながら、ここで寝ちゃおうかとも思ったが、ちょい怖いし、ホテルを探しに外へ出た。
しば~らくウロウロしてると、自転車の兄ちゃんを見つけたのでホテルの所在を訊くと、何とか英語は通じたが、ホテルは無いと言う。
ダンケシェンって礼を言って歩こうとすると、困ってる?と訊くので困ってると言うと、「ウチに泊めてあげようか?」って。
一瞬言葉に甘えようかとも思ったが、仕事上での出張だし、事件に巻き込まれるわけにもいかないし、きっと親切な兄ちゃんだと思うが断った。
それから随分歩き、ホテルを見つけたが、親切を無にしたようで気に病んだ。

フランクフルト支店の日本人スタッフと飲んでハシゴしてると、あちこちのバーで見知らぬ酔っ払いと肩を組んで脚を蹴り上げて踊った。
ビールとウインナーが有れば友達さ。

アウトバーン・戦車・ユニオンジャック

子供の頃のイメージでは、アウトバーンとは
「ドイツで1本しかない速度制限の無い特別な高速道路」
と思っていたが、フツーの高速道路で、ドイツでは高速道路はほとんど速度制限が無いそうだ。

出張でフランクフルトに行くと、営業マンの運転する(ケルンに向かう)BMWは180km/hなのに3車線の真ん中を走っていた。
なぜかはすぐ分かった。左をポルシェやフェラーリが240km/hで追い越していくからだ。
それにしても数時間ぶっ続けで180km/h出してんだから、ドイツ車のエンジンはめちゃくちゃ頑丈に違いない。

前を見ると軍用車のようなモノが走ってる。
違う。軍用車じゃない。
よく映画なんかで見るヤツや。
信じ難いが、戦車や(゚ρ゚)ノ
なんで分かるかって言うと、向こうに走ってるけど、砲塔がこっち(後ろ)を向いているから。
そしてタイヤではなくキャタピラで走ってるから(^^;
ここアウトバーンでっせぇ。キャタピラで走ってえんかいな!?80km/hは出てんとちゃう?
程なく追いついて更にビビッた。ゆ、ユニオンジャック!英国の戦車ぁ?

も、どこを突っ込んでいいのか分からんかった。
NATO軍の演習かなぁ。