カテゴリー別アーカイブ: 06.驚きのU.S.A.

米国で驚いた

銃販売

1986年、米国駐在でビックリしたのが銃社会。
前年から駐在していた日本人の先輩が、アパートでピストルと弾を見せてくれた。銃器所有者識別カードも。

州によってライセンスは違うのだが(保管方法も)、イリノイ州では銃器所有者識別カードは州警察が発行する。
そのカードは、顔写真を添えた申請書と10ドルほどの手数料を払えば手に入る。日本から来たばかりの駐在会社員でも!

でまたびっくらこいたのは、(日本のイトーヨーカドーのような)総合スーパーやスポーツ用品店でライフル銃やピストルが売られているのだ!
お値段2万円から(^^
S&W M29も!マシンガンも!魚釣り竿の横で(^^;

銃は、ハンティング用と位置付けられていて(なんでマシンガンが?と突っ込みたくなるが)、釣具と似た扱い。
ちなみにアメリカでは、釣りはハンティングであり、ライセンスが要る。

折角のアメリカ駐在だし、簡単で安く買えるし、持ってみたい気もしたが、モーターサイクル(オートバイ)同様、とうとう所持せずに駐在を終えた。

初感謝祭

1986年2月からの米国駐在で住んでいたアパートメントに隣接する商店コーナーにはジャパニーズレストランがあり、その横にはバーもあり、よく行った。
このバー、ラウンジっぽく、ピアノがあって70歳越え(?)の品の好いおじいさんが弾いている。
2月にはノー英語だった俺も、秋にはカタコトで喋れるようになっていた。
このおじいさんともブロークンイングリッシュでたどたどしく話していた。

米国開発室第一弾のバスケットボールゲーム『Double Dribble』は、本社(日本)開発陣からのダメ出しをよそに、テストで目を見張る高インカムを叩き出し、ゲームショウでの評判も上々。ヒットが確実視され11月、開発を終えた。
ノー英語から9か月でアメリカを理解したと思った。

11月第4木曜日のThanksgiving Day(感謝祭)前、バーでおじいさんと話していると、嬉しいことにターキーをご馳走すると言われた。
感謝祭当日、教えてもらった住所を訪ねると、おじいさんは一人住まいで、彼自身が調理したターキーとワインをいただきながら、楽しくたどたどしく会話を楽しんだ。

翌日出社し、昨夜のお呼ばれを話すと、日本人スタッフ・米国人スタッフから「大丈夫だった!?」

なんと彼はゲイだそうだ。
え~---!絶句。
だっておじいさんだし、品の好いおじいさんだし…。
しかしまあ、皆が言うんだから、根も葉もない噂ではないのだろう。

アメリカ。ヒットゲームを作ったぐらいじゃ理解できん国。

停電で穴

1987年ぐらい。米国駐在で1年ほど経った頃。
コナミは米国で勢い付いており、シカゴ郊外の社屋も自社ビルとなった。
我々の開発室も倉庫の一角に加えられた。

あれから四半世紀が過ぎた今では改善されていると思うが、当時の米国は停電が多かった。
突然、町全体が停電に見舞われるなんて日常茶飯事。
信号機も機能しないが、そこは慣れたもの。4-WAY STOP方式で、交通マヒにはならない。

金曜24時過ぎに開発系の仕事を終え、事務パソコンに向かって管理系のお仕事開始。
その夜は随分長い報告書を書いていた。
いろんな情報を調べつつ調べつつ、大作となった。朝7時も越えたことだし、月曜日に推敲して日本に送ろう、と思って伸びを一つ。それを合図に電源消失。
なぜかその日に限って(ま、不幸とはそういうもんだけど)バックアップせずに書くだけ書いていた。

7時間の、しかも徹夜の労力がパアになった事や、イリノイ州の電源事情に怒りが爆発し、コンセントの近くを力任せに蹴った!
蹴ったら壁に穴が開いた。懺悔。

以後四半世紀、俺はバックアップの虜となっている。死ぬまで虜に違いない。

I’m sorryやExcuse meの功

「I’m sorry」を謝罪だと思っている日本人は多い。学校でそう習うからね。
英国ではどうか知らないが、米国では謝罪の意味は無い。
米国に於いてAが仕出かした事が原因で、Bが迷惑をこうむった場面で、AがBに「I’m sorry」と言えば、
それを見て日本人は、Aが自分の非を認めてBに謝っている、と思うが、
実のところAはBに、「原因はともかくとして、あなたはお気の毒だ、と私は思う」と言っている。

言い方や、状況から、「謝罪の気持ちが有る」と、汲み取れる場合も有るには有る。
でも、言葉自体に謝罪の意味は無い。
本当に謝罪する場面では、「I apologize」とか「Please forgive me」と言う。

I’m sorry – お気の毒さま
I’m so sorry – ほんとにお気の毒さま
Sorry – おっと

「Excuse me」なんて「許せよ」だからね。
自分が通るのに、人込みで通りにくい時、日本人は相手に対して「済みません」と、自分が通る事を迷惑と規定して謝るが、米国では「Excuse me」と言い、それは「どいてください」の意。

ここまで読むと、日本人は米国流の「I’m sorry」や「Excuse me」を不快に思うかも知れないが、俺は機能的な面を高く評価している。
この2つの言葉は、身勝手な言葉なんだが、だからこそ使いやすい。実際、頻繁に使われる。
これに対し、日本語の「ご免なさい」や「済みません」は重くて、とうとう現代では使われ辛くなった。

やはり言葉は使ってなんぼ。
言葉を掛けずに知らんぷりしたり、我慢したり、憎んだりしたのでは、社会が歪む。
以心伝心が通用しなくなった現代。身勝手でもいいから、日本でも言葉掛けが軽く出るようにしたい。

バーボン

米国のバーでなかなか通じないのが「バーボン」。
バーバンとか、ボーボンとか、いろんな言い方をしても通じない。

ニューオーリンズに出張で行った際、その地がかつてはフランスの植民地であった事を知った。
New Orleansの「Orleans」って、フランスのオルレアン公の事だったんだ。
ニューオーリンズと言えば、ジャズ・バーが並ぶバーボン・ストリート。
この「bourbon」、やはりフランスのブルボン朝の事だったんだ。

そこで、頭ン中で「ブルボン」と唱えつつ、バーボンと発声すると、一発で通じた!
もうその後は通じない事が無くなった。

正確には「バ」は、実写版で大作少年の命令をジャイアントロボが受託する際に発する確認音「ま”」で、「ー」は、舌を丸めてアーと発音する「R」。
だから「ブルボン」に似せて「ま”Rボン」と言えば完璧。

相手を知れば、相手もこちらを分かってくれる。
かっこええ事ゆうなあ、俺。

客と賭ける店員

1986年、業務用ビデオゲーム開発で米国に駐在し、バスケットボールゲームを作るにあたって、正逆両方向のコマ送りができるVCR(Video Cassette Recorder、日本で言うVTR)を探しに、どでかい家電量販店へ。
日本では既に何機種か有ったが、米国のその店では1機種しかないようだった。できれば数機種から選びたかったのだが、困ったにゃ~┐(‘~`;)┌
そこへ店員登場!米国の売り場担当の店員は皆自信に満ち満ちて、「商品の事ならなんでも訊きなさい」って感じ。クルマ屋でも、軍需品屋でも。
で、先述の機能を有するVCRを探していると言うと、「無い!」とキッパリ。
ええ?「有ると思うんだけど…」まだ英語の不自由な俺が口篭ってると、その店員、尻ポケットから財布を引き抜いて左手の甲の上に叩き乗せ(賭けるという意味)、鋭い目でキッパリ「無い!」
俺が可能と思われるVCRを指さし「これぇ…」
店員、目が泳ぎながら笑顔で財布を仕舞い掛ける。
俺が掌を上にして「その財布…」と言うも、店員は無視してポッケに仕舞い、知りもしない新機種の説明を始めた。俺の方が詳しいっつーの(^^
なんで「無い」事を自慢げに言うかなぁ。
しかもこっちは客だよ。客と賭けてどーすんの?

米国の旨いもん

米国の食べ物はマズイって言われるが、それは多分マズイものを食ってるから。
現地の住人に訊けば美味しい食い物に出会えるはず。
米国食文化の名誉のため、こんなに旨い食い物が有るのか!ってものを(駐在した)シカゴを中心に紹介しておこう。

Chicago-style pizza
概して分厚いんだけど、なかでもえげつないのがstuffed pizzaで、「詰め物ピザ」と訳せばいいかな。ピザ生地の中にチーズが3cm厚で詰まってる。聞いただけで胸焼けすると思うでしょ。これがナント餅。伸び方や食感が餅そのもので味もクドくない。有名チェーン店は「Giordano’s Pizzeria」。この店はオーダーしてから焼くので提供まで30分は掛かるが、米国人はお喋りで難無くクリアする。 http://www.giordanos.com/

Bob Chinn’s Crab House http://bobchinns.com/
大人気のシーフードレストラン。バターソースでいただくKing Crab(タラバガニ)がウリで、俺が行くとウェイターが「Do you need アジャパン?」と訊いてきた。「一つの日本」?何だ?訊き返すと、ミツカン味ぽん(アジャパン)を持って来てくれた(^^
クラムチャウダースープはもちろん、ガンボスープや体に悪そうなガーリックトーストもめっちゃ旨い。

Gyros(写真
ギロス。縁日などでトルコ人風のニイチャンが「オイシヨ!オイシヨ!」って売ってるドネルケバブの一種。写真の白いのはサワークリーム。シカゴのイタリア系ホットドッグスタンドで売ってるが、Gyroってギリシア語なんだな。ピタで包んではいるが、両手で持って食べると油で手がギロギロになる。でも米国人は紙ナプキンで手を拭けば何事も無かった事になる。
イタリアンソーセージやミートボールのサンドイッチも味が濃くて体に悪そうでオイシヨ!

Prime Rib Steak
プライムリブステーキなら日本でも食えそうだが、デカさと値が違う。多分35cm×25cm×3cmでサラダが付いて4,000円ぐらいだった。俺が行ってたのはDon Roth’s Blackhawk Restaurantってとこだったが、閉店したみたい。ホースラディッシュのあっさり感でペロっといける。ちょいウソ。ギブアップする日本人多し。

ニューオーリンズで牡蠣三昧とか、メキシカンでファヒタとか、コリアンで焼肉とかもコスパ高くて腹パンパン。

ジャパニーズレストランで焼き秋刀魚定食が昼は9ドルなのに夜は12ドルってどうよ?って思ったが、夜は2尾だった。
韓国人がやってるジャパニーズレストランは安いけどマズい。
スーパーで売ってるジャポニカ米は安いけど十分食べられる。

ケーキは砂糖を食ってるのかと思うほど甘いが、1年住んでウエストが2インチアップする頃には美味しく食べられる。

ゲーム下手な操縦士

ジョン・F・ケネディ空港から国内線に乗る前、空港内のゲーセンで俺たちが作った『CRIME FIGHTERS(クライムファイターズ)』が賑わっていた。
そこにパイロットスーツに身を包んだ兄ちゃんとCA(スチュワーデスさん)の姉ちゃんが現れ、兄ちゃんが『CRIME FIGHTERS』をプレイし始めた。
このゲーセンではトークンではなくクォーター(25セント硬貨)を入れてプレイするのだが、残念な事にこの兄ちゃん下手っぴぃで、手持ちのクォーターは早々に使い果たした。ゲームの操縦は苦手のようだが、飛行機の操縦は大丈夫なんだろうね(^^;
熱くなって1ドル札を4枚のクォーターに両替し、プレイ再開。10分ともたずに3枚を使い切った兄ちゃんは1ドル札をCAの姉ちゃんに渡し両替させた。この2人がどういう関係なのかは分からない。
またもやクォーターが無くなりかけたが、もう1ドル札も無いらしい。実は俺が乗る機の搭乗はもう始まっており、少し焦っていたのだが、やっと搭乗ゲートに向かえると思った。が、この兄ちゃん、姉ちゃんに自分の金で両替してくれと懇願している。下手なプレイも参考になるので是非見届けたいところだが、どうしよう。
姉ちゃんは時計を指し、説教口調。彼らも急いでるみたい(^^
それでも懇願する兄ちゃんに根負けし、姉ちゃんは自分の財布から1ドル札を出して両替し、兄ちゃんに貢いだ。そしてゲーセンから出て行った。知~らない、俺たちのせいじゃないかんねー(^^
ちょい嬉しい。もう見届けるしかない。そこから更に10分ほど観察し、「GAME OVER」の表示にうな垂れる兄ちゃんには目も呉れず、搭乗ゲートに走った。着席したのは俺が最後だったと思う。
操縦室のドアが開いてて、顔を見せたのは下手っぴぃの兄ちゃんだった。マジっすか!どちらかと言うと、降りたかった。

行方不明のDM

シカゴ近郊(に限った話ではないと思うが)に住んでいたが、郵便受けに愛らしい子供の写真が載ったダイレクトメールが週一ぐらいで届いてた。男女を問わず、8才ぐらいの子や生後数ヶ月の場合もある。
「見かけたら電話をください」という内容だ。残念な事に誘拐らしい。
そんなに身代金目当ての誘拐が多いのかと思ったが、そうであればDMは来ない。どうしても子供が欲しい夫婦に売られたり、性的奴隷として売られたり、臓器を売られたりするのだそうだ。

逆転裁判

1998年米国出向を終えて帰国する直前、飲酒運転で捕まり、本格的な裁判に出廷する事となった。
数日経って、弁護士からダイレクトメールががんがん来だした。俺が裁判するってどーして知ってるの?誰が教えたの?って警察しかないわなぁ(TT)俺を捕まえた理不尽な警官達は人種差別者じゃなくて商売人だったのかなぁ。
会社の人からは、飲酒運転の裁判に負けると懲役を喰らったり国外追放になったりエラい目に会うので弁護士は必須だと勧められた。で、日系の弁護士が多い法律事務所にお願いしたんだが、結果的に担当してくれたのはめっちゃ能力の低い弁護士だった。それでも契約で1,500ドル、成功報酬2,000ドルなのだ。
情報収集で分かったのは裁判官と弁護士の関係。彼らには貸し借りが有る。1人の弁護士が抱える複数の案件で有利不利がある。口には出さないが、「この件は負けてみせるからあの件は勝たせてね」という暗黙の了解。弁護士はそれで商売が成り立つが、被告は案件が違えば別人だからたまったもんじゃない、と言っても仕方がない。
この駆け引きで、多くの小さな有罪と1つの大きな無罪を勝ち取るのが有能な弁護士となる。
で、俺の裁判。
この裁判、検事側は最初に主張しただけでその後はほぼ喋らず、弁護士が俺の無罪を訴えるとその脆弱性を裁判官が突いて弁護士がしどろもどろになる事の繰り返し。そしてどんどん俺の立場が悪くなっていった。
もう任せられなくなったので、弁護士を制して俺がつたない英語で話した。
俺「自分は米国出向の任期が終わり、帰国しなくてはならない。それを優先するために全ての罪は受け入れる」
裁判官「この状況では、君は一旦帰国すると米国に再入国出来なくなるが、それを分かって言っているのか?」
俺「日本の会社では命令は絶対です。英語は貧弱ですが、理解した上で話しています」
米国では会社の都合を優先させて個人の権利を放棄する思想は無く、法廷は大いに驚き、裁判官はこの異様な東洋人を明らかに擁護しだした。墓穴を掘りそうな無能弁護士の発言を何度も制止し、巧妙かつ誘導的な質問で俺に「はい」とだけ言わせた。
結局、懲罰的意味合いの無い裁判費用程度の罰金と、3週間の社会復帰カウンセリング受講で放免と決した。前半の流れからは甘過ぎる判決と思う人も多かったろう。
それを察してか、閉廷後、裁判官は俺を事務所に呼び、「もし今後、何かの手違いで今回の判決が履行されないようなら、私が責任をもって説明するので、ここに電話しなさい」と言って名刺に電話番号を書いて手渡してくれた。
法廷を出るとき弁護士が「今回の成功報酬は1,000ドル程度だろう」と言うので、俺はキッパリ「そんなに払えない」。後日、法律事務所から請求された成功報酬は100ドルだった。分かってらっしゃる(^^
絵に描いたような無能弁護士、弁護士を叩いて被告人を擁護する裁判官、ドラマチックな裁判展開、終わってみればどれも米国らしいありえへん∞世界でした。