大ヒット企画のプレゼン

1985年にシューティングゲームの革命児として日本を席巻した『グラディウス』。
その約1年前、開発会議に於いて、この企画の製作可否を問うプレゼンテーションが行われていた。
プレゼンテーターはディレクターのM氏。
当時の彼は駆け出しのディレクターで、まだプレゼン力は無かった。
聴衆は社長を始め、役員や各部の重鎮、それに各開発部署の精鋭達で30人は居た。
内容はともかくとして、M氏のまるで抑揚の無い一本調子で事務的なプレゼンに、半分以上の聴衆は舟を漕ぎ始め、ふと蘇生する者が居たり、まるで集団催眠実験の場に居合わせたようだった。
シューティングと言えば、クールさが暗黙のルールだったが、『グラディウス』の企画は有機的なイメージだし、ステージ構成に一貫性がないし、だからと言って問題ではないし、『ツインビー』を凌ぐパワーアップは有るし、なんとも判断の困難なモノだった。
よって、賛否両論ある中、辛うじて製作の許可が下りた。

1993年、伸び悩むPCエンジン向けのソフト開発責任者Y氏が背水の陣で望んだ開発会議。
有ろう事か、女子高生と話したり、行動パターンで興味を引いたりして、告白を受ける事を目的としたゲーム企画がプレゼンされていた。
そのようなモノは家庭用ゲームソフトが生まれた頃から在るには在ったが、アングラなイメージで、大手のコナミが手掛けるようなジャンルではなかった。
しかし企画内容をよく聴くと、不純なものではなく、しかもPCエンジンユーザーには恰好の商材と成り得るだけに、コナミのイメージ失墜を懸念する慎重派と推進派の間で揉めた。
Y氏は至って真面目だったのだが、「神聖な開発会議にそんなイロモノを持って来るとは、Yも堕ちたものだ」と、陰口も叩かれた。
結局、製作許可は下りたのだが、発売まで市場の評価は得られず、Y氏は退職の憂き目を見た。
1994年、発売後暫くしてから火が点き、「恋愛シミュレーションゲーム」の分野を打ち立てた『ときめきメモリアル』の生い立ちである。
「捨て身の制作」とも言える。

両者共に、時代を代表する商品となったわけだが、この2作に限らず、大ヒット商品の企画時の評価とは大体こんなものだ。
決して満場一致で賛同を得る事は無い。
そりゃそーだ。
全員が賛同するような企画は「先が見えるモノ」なので、未知の開拓とは矛盾する。
賛否両論を巻き起こすモノこそ新時代を切り開く可能性が有るのであり、大ヒットと成り得る。

更に言うなら、この判断基準を備えている企業が勝ち上がり、無くせば衰退する。

投稿日: 2013/03/18 カテゴリー: 04.仕事場 タグ: , , | パーマリンク コメントする.

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